シフ君の『私が殺人犯だ』に関する記事の中で、
コチラは、ちょっとシビアな考察ネタです。。。
スターになった殺人犯パク・シフが投げかける致命的話題
以下ネタバレ含みます
死刑制度について強烈な疑問を投げかける映画、重い話題を突きつける。
女性を残酷に連続殺人する殺人犯。
死ぬほど捉えたいのに捉えられなかったその殺人犯が、
時効が過ぎるとすぐに登場する。
それも途方もないスポットライトを浴び、誰をも惹きつける殺人的微笑をみせて。
出版記念の会場を埋めつくした記者達の歓呼と、
驚異的な成功を収めた殺人者を眺めなければならない遺族の怒りは大きくなる。
家族の死で人生の全てが壊れてしまった遺族に残されたものは、
殺人犯を自身の手で殺すことだった。

刑事チェ・ヒョング(チョン・ジェヨン)にとって、殺人犯イ・ドゥソク(パク・シフ)は
どうしても捉えたい存在だった。
娘を失ったハン・ジス(キム・ヨンエ)や、家族を失った人達にとっては、
イ・ドゥソクは殺したい相手だ。
連日メディアに姿を現し、自身の誤りを償うと言う殺人犯イ・ドゥソクに対し、
ハン・ジスを中心に構成された遺族は拉致を計画する。
誰もが注目する状況で、殺人犯イ・ドゥソクを拉致するのは容易ではない。
彼を殺すため、他の人に傷害を負わせて刑務所に行ったカン・ドヒョク(オヨン)、
母親を失い、時期を狙ってその日だけを待ったチェ・ガンスク(チョ・ウンジ)、
父タンクン(キム・ジョング)、そしてテソク(チェ・ウォンヨン)が1つのチームになり、
イ・ドゥソク拉致劇は始まる。
ホテルでドゥソクが泳ぐプールに蛇を放し、蛇にかまれた彼を救急車に乗せて運ぶ時、
遺族とチェ・ヒョング、そしてイ・ドゥソクのカーアクションが派手に続く。
走る車の上で繰り広げらえる死闘は見る人々さえも興奮する。
イ・ドゥソクの拉致に成功した遺族らは、自分たちの隠れ家で、
遺体が見つからなかった最後の犠牲者チョン・スヨン(ミン・ジア))を探そうとする。
最後の犠牲者であるチョン・スヨンは、ハン・ジスの娘であり、チェ・ヒョングの恋人だった。
愛していた女性がある日誘拐され、追いつめた殺人犯に口まで裂かれたヒョングは、
殺人犯のことは死んでも忘れることができない存在だった。
そんな殺人犯を探すため、敵陣である遺族の隠れ家に入り、
イ・ドゥソクを生かしたヒョングは、ジスに頬を殴られる。
こんな一連の事件は世間をより一層沸かせ、メディアはこれを逃さず、
積極的に活用するため、殺人犯イ・ドゥソクと刑事チェ・ヒョングの対談を導き出す。

世間はすっかり連続殺人犯イ・ドゥソクに熱狂し、
この熱狂の中で問題を捉えるため、血眼になったメディアの姿は醜さが増す。
この過程で劇的な事態が始まる。
ヒョングとドゥソクがTVで討論中、電話をかけてきたJが、
自分が本当の殺人犯だと明かし、話しは急展開を迎える。
『私たちはアクション俳優だ』でアクションシーンを魅力的に表現したチョン・ビョンギル監督は
今回もアクションシーンを耽美的で感覚的に表わしている。
既存の使い慣れたカメラワークではなく、感覚的な画面構成で、
優れたアクションシーンを作り出しているのが興味深い。
殺人犯と刑事のTV討論という展開は面白かった。
勿論このような方式はチャン・ジン監督の『拍手する時に去れ』で
死と放送という興味深い方式を実験的に適用したりもしていた。
オリバーストーン監督の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』でも同様の方法で、
マスコミと殺人犯の話しを入れ、マスメディアの横暴と酷い商業性について
赤裸々に話したりもしている。
だが、このような形式的な模倣の有無が重要なのではなく、
この映画が何を言わんとするのかが重要だ。
殺人をしても限られた時間が過ぎれば、その殺人の罪が消えることに対し、
怒りを訴えている。
15年という期限は25年に延びたが、殺人などの重罪に対し、
時効が存在してはいけないと言うことなのだ。

『私が殺人犯だ』は時効を過ぎた殺人犯を世間に呼び出すため、
刑事と遺族が合同作戦をする。
これにより、本当に犯人に断罪させるための彼らの努力は、観客に重く近づく。
映画に登場する残忍ながらも反省するとは思えない殺人犯を、
果たして法という枠で生かして良いのか、とても難しい話題を投げている。
オ・ウォンチュン、チョ・ドゥスン、カン・ホスンなど、社会を騒がせた
残忍な犯罪者に対する国民の怒りが極に達した状況で、
この映画が投げかける話題は、死刑制度だ。
社会と永遠に隔離すべき残忍な殺人犯に対し、法ができるのは死刑だと叫んでいる。
チェ・ヒョングが出所する日、遺族が彼を歓迎し、共に写真を撮るシーンで映画は終わるが、
観客にこのような残忍な殺人犯を、なぜ遺族が殺さなければならないのか反問している。
遺族をも殺人者にする現実を批判し、死刑制度が施行されるべきだと主張する
『私が殺人犯だ』は、重いテーマで、難しい選択を迫る映画だ。
死刑制度が誤った司法の犠牲者を作ることもあると言う点で、
ひたすら賛成することはできない。
それでも残酷な犯罪を犯したのに反省さえしない犯罪者を人権の問題として片付け、
保護することも難しいことだ。
どんな判断をしても、『私が殺人犯だ』は明確に一つの主張をしている。
残酷な犯罪を犯しても反省すらしていない犯罪者は死刑にすべきだ。